「縁の石」から奥に行くと「名島帆柱石」があります。
ここも随分と整備されました。
(以下の写真はクリックで大きくなります)
説明の看板もできてます。
帆柱石。来たのは小学校から中学ぐらい以来かなあ。
「帆柱海岸通」と名前が付いてます。
昔の貴重な写真も印刷されて埋め込まれています。
「大正時代の帆柱石の風景」
昔あった妙見島の写真。
この妙見島、いまは埋め立てられてなくなっていますが、ちょっと検索したら
調べてくださった方のブログが見つかりました。
↓
「【福岡市】ひと昔前まで名島にあった妙見島の痕跡を探る」
http://y-ta.net/myoukenjima/大西洋無着陸横断飛行を成し遂げたリンドバーグが世界親善訪問飛行の途中で名島飛行場にきたときの写真も。
「双フロート式(ゲタ履き)のフォッカー・スーパー・ユニバーサル水上飛行機を
見物する地元民(昭和4年)」
「昭和8年当時の多々良川河口と名島海岸を上空から望む」
↑
架かってる橋は名島橋ですね。
名島飛行場の事を知らない私はちょっとまた検索してみました。
水上の飛行場なんですね。
この名島飛行場についても調べてくださった方がいました。
↓
「名島飛行場」
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/070209/najima_.html「 名島飛行場跡地訪問」
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/070504/bajimaato.html帆柱海岸通から奥に行くと
「みなと100年公園」というのも出来てました。
(時間も遅くなって暗くなってたので通っただけです)
妙見島は あまり記憶にありませんね。
干潟だと歩いて渡れるなんて、宮島の大鳥居や青島みたいですね。
ところで、名島橋の辺りで鰻が釣れるのを御存知でしたか?(笑)
多々良川は汽水(海水と淡水の混じる場所)なので、ハゼや鰻、海亀が川を渡るのが見られました。
昨年、運動公園から土井、八田まで歩きましたが(笑)2キロ(換算すると30分位)位で歩けました。
東区も広いですね。
アサミレイコ さま
「名島橋の辺りで鰻が釣れる」と言われていたんですね!
実は小学校の6年ぐらいの時に、釣り好きな友人と多々良側で小さい鰻を捕ったんですよー。
名島橋より、もう少し川上側、、、どこあたりだったか忘れましたが、名島橋や河口よりは離れていたと思いますが、ホームセンターのGoodayがあったぐらいの距離のとこだった記憶です。
川岸は護岸工事はされていたけど、川面に降りれるような岩場があって、その岩場の中に鰻が潜んでいるんです。
大きい鰻はいないけど、10センチ〜20センチぐらいでしょうか、潜んでいて、
たも網(魚釣りするときに魚をすくいあげる手にもつ網。虫取りアミの取っ手の短い感じのやつ)で、岩場をかき回してると、おどろいた鰻が出てくるんですよ。
それを、サッと掬いとるんです。
といっても、それをしたのは一回きりですが。
そのドジョウのような小さい鰻、二匹ぐらいを家にもって帰ると、母が蒲焼きしてくれました。
蒲焼きといってドジョウサイズですから(笑)
後年、あれは、もしかしてドジョウじゃなかったのかと、思ったのですが、名島橋で鰻が取れていたということは、あれは、やっぱり鰻だったんだと確信しました。よかったです。(多分鰻。。)
ウミガメもいたんですか!
ハゼは、箱崎ふ頭で何度か釣りました。
箱崎ふ頭の岸壁の壁、つまり岸壁に立って足下の海の中を見ると、海中の岸壁に貼り付いてるんです。
なので、釣り針に餌つけて、ハゼの顔の前にもっていくとパクっと食いつくんです。
その時も、ハゼを何匹も持って帰ると、母は唐揚げにしてくれました。あれは美味しかったです。
いま思えば、箱崎ふ頭の魚って、場所的にキレイなのかちょっと不安ですが(笑)
平戸生まれの母は、魚は慣れているので、子供が持って来た魚(普段料理しないだろうそんな魚)を嫌な顔せずに料理してくれました。 子供心でも嬉しかったです。
運動公園から土井、八田、で30分くらいでしたら、実質歩いた距離は、3キロぐらいあるかもですね〜。
返レス遅くなりスミマセン人( ̄ω ̄;)
お母様が長崎の方だったんですね。 長崎人は魚を捌くのが上手な方が多いですよね。
やはり子供の頃から新鮮な魚に親しんでいるせいかも(^-^)
ところで、凄い情報をゲットしました!
名島の操車場から千早~若宮~八田まで 戦後しばらくの頃迄、国鉄の(正確には陸軍の)引込み線があったんだそうです!(°Д°)?!
千早のJR敷地から市営住宅~公務員宿舎~若宮商店街(多分 裏手の水路沿い)に、今でも掘り返せばレール跡は残っているのだそうです!w(゜o゜)w
名島~若宮~八田にかけて軍用列車が走り、千早や市営住宅~若宮公務員宿舎まで陸軍の施設や練兵場があったんですね~。
私達が子供の頃に普通に暮らしていた町に、そんな歴史的なバックボーンが有ったとは?!
考えてみたら、JRも そもそも国鉄だし、市営住宅や公務員宿舎も国の管理物件ですもんね、腑に落ちますね。
戦時中は一般民は立入禁止区域、戦後に開放されたと言うことなのでしょう。
福岡も戦時中は大空襲で多大な犠牲を払った街ですが、その裏には この様な軍事的な事情が有ったんですね。
最近は ネット検索で 昔の風景写真を見るのにハマってます(笑)
街に歴史あり、ですね。
いえいえ、いつも僕も遅くてすみません!
引き込み線、ホントですか!それはすごい情報ですね。
おっしゃるとおり、市営住宅から、公務員宿舎、のながれは、腑に落ちます。
さらにあの、千早の操車場から多々良中学校につながる斜めのラインは平地ですもんね。名島からは山になってるのに。
海もそばにあって、海上飛行場があるわけですから移動、輸送に便利ですよね。
面白いですね。
昔の写真、あるなら見てみたいです。
ネットで検索便利ですよね。
いろいろ探してみたいと思います。まず、その引き込み線を探してみます〜。